2022.04.07

国の自覚と国民の自覚

 今日の日経の社説に「大国の自覚問われるインド」という一文が掲載された。最後は「日本はアジアの友人として、主権と人道の普遍的重要性について粘り強くインドとの対話を続ける必要がある。」とあった。果たして粘り強い対話だけで、主権と人道上の普遍的重要性をインドに分からせられることができるのか。

 昨日、インド貿易促進委員会からのメールが入り、ウクライナ関連でロシアの食糧入手が困難になったことを千載一遇のチャンスと捉え、4月18日から22日の期間に、30社からなるインド食品飲料使節団をモスクワに派遣、インドからロシアへの食品飲料輸出機会拡大につなげる、とあった。中国とパキスタンに対抗するため、ロシアへの圧力は控え、豪州とは貿易協定を結び、アメリカにもいい顔をする。八方美人的外交がどこまで持つかはわからないが、きれいごとではない現実的政治姿勢だ。

 また、昨日のインド日刊紙「THE HINDU」ではインドのJitendra Singh科学大臣が国会で『この3月、インドは過去121年間になかった記録的猛暑に見舞われた。これを引き起こしているのは「地球温暖化だ」』と発言し、その主たる原因としてインド気象庁は「雨量減による乾燥に、パキスタン側から吹き付ける熱波がもたらしたもの」と解説を加えている。

 両事象に共通することは、インド国として自覚することと、インド国民の行動は一致しないということだ。いかに主権と人道の普遍的重要性を説いたところで、いかにして儲けるかで頭がいっぱいの人たちには何を言っているのだ、ということになる。その儲けのためにはそういった重要性は邪魔になりこそすれ、助けにはならない。

 EV化に必要なリチウムイオン電池のセルや再エネ活用のための太陽光パネルは中国から輸入し補助金と外貨を流失させ、雇用創出につながる工業化のため自国で必要とする約9割の原油を輸入し貿易赤字を拡大させ、環境汚染が進む。そんな国には正論の自覚を求めるより、セルの製造技術や再生エネ活用技術支援を行う方がより現実的だ。

 古代のヨーロッパとオリエント世界を統一したアレクサンドロス(BC365-323)の家庭教師であったと言われるアテネの哲学者アリストテレスは「論理的に正しくても、人間世界で正しいとは限らない」と教えたらしい。

 一国の取るべき自覚も大事だが、それはそこに住まう国民あってのものだということもしっかり頭に叩き込んでおくことも重要だ。(了) 

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