1947年と1991年、インドは二回独立した
インドは先週末の15日、1947年から数えて62回目の独立記念日を迎えた。初代首相に就任したネルーの政治的功績の偉大さには疑問を挟む余地は無いが、インドが歩む経済体制の選択では大きな疑問符が付く。同首相が選択したのは自由主義経済ではなく、ロシアを模倣した社会主義的混合経済だった。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったロシアに傾倒していたネルーにしてみれば当然の帰結だったかもしれないが、大きな選択の誤りだったのではないか。
独立後のインド経済は鎖国状態の中、3%程度の経済成長に甘んじ、その後起こった中印紛争や印パ戦争、二度のオイルショックや湾岸戦争を経て、1991年6月の経済危機(外貨危機)に直面する。外貨準備高11億ドルという惨状で、海外からモノの輸入もできず、企業にたとえれば運転資金が枯渇、倒産寸前の状態だった。一方では中国を筆頭に、アジア諸国が大きな経済発展の過程に入っていた。
自国の経済危機に直面、周りを見渡し唖然としたインドは社会主義的経済体制に見切りを付け経済開放を行い、マーケット・オリエンテッド(市場主義)の自由主義経済陣営に参入した。その後のインド経済は順調に発展、最近では9%前後の成長を遂げるまでになり、外貨準備も3千億ドルを超え、91年に起こったような外貨危機とは縁遠くなっている。したがって、インドには誕生日が二度あるといってよい。一回目が47年の政治的独立で、二回目が91年の経済的独立である。
今でこそ経済大国を標榜するまでになったインドだが、91年に瀕死の状態だったインドを救ったのは日本だったと言っても過言ではない。外貨危機に見舞われたインドに対し日本が3億ドルの緊急融資を行い、急場を救ったのだ。日本からの迅速な支援が無かったら、インドは対外債務の返済が行えずディフォルト(対外債務不履行)に陥っていた可能性すらある。(歴史に「if」は禁物だが)万が一そうなっていたとすればリスケに10年は掛かっていたはずで、羽振りの良い現在のインドは無かったはずだ。当時の大蔵大臣が現首相のマンモハン・シン氏だが、経済危機が一段落した後、支援各国に対し感謝の意を表明した際、同氏が具体的国名を挙げたのは日本だけだったと記憶している。それほど現在のインド経済の発展に日本は貢献しており、インドの日本に対する感謝の念も強い。しかし、その後の日印関係の発展は期待するほどのものにはなっていない。残念なことだ。
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