2008.09.15

米印原子力協定に思うこと

(出所:「Press Information Bureau, India」)
2006年3月3日、訪印したブッシュ米大統領とマンモハン・シン首相。
米印首脳会議で「米国はインドの民生用原子力事業への技術協力を実施する」と合意。ブッシュ大統領は、「インドは価値観を共有できる良きパートナー」と持ち上げた。

9月7日、原子力技術・機器の輸出管理を行う原子力供給グループ(NSG)が米印原子力協定の例外扱いを決めた。本来ならば、核拡散防止条約(NPT)非加盟国インドへの原子力技術等の輸出は禁止されているので、米国によるインドへの原子力技術の供与は認められないのが筋だ。

唯一の被爆国である日本も「国際原子力機関(IAEA)によるインドへの査察が一部可能になる」「地球温暖化対策に原発技術が役立つ」などを挙げ容認した(9/2付日経)。いろいろ議論はあろうが、関係諸国はより現実的な選択をしたということか。

核拡散防止条約は非常にゆがんだ制度だ。1970年に発効した条約だが、核兵器の保有を米国、ロシア、英国、フランスと中国の五カ国に認め、他の国には民生利用は認めるものの、査察の受け入れを義務付けている。そもそも核兵器の使用を特定国にだけ認めること自体、理解に苦しむところだ。そして上記五カ国が国連安保理の常任理事国となっている。その上この五カ国で通常兵器の8割以上の輸出に関与しているとのことである。

1998年5月にインドが核実験を行った際、たまたま私も出張でデリーに滞在していたのだが、インド国内は愛国心に満ちた人たちの喚起の声で溢れた。だが、その一方で、インドは大きな過ちを犯したと言ったインド人もいた。インドの核実験に呼応したようにパキスタンも核実験を行った。これで軍縮ならぬ、軍拡競争が始まってしまったのではないか。

良く核の抑止力というが、抑止できなかった場合のことを考えると空恐ろしくなる。インドとパキスタンが地球上から消滅するくらいでは終わらないことくらい、通常の常識人なら誰でも分かる。したがって、インドとパキスタンとの国境紛争でも、インドは徹底的にパキスタンをたたけなくなってしまっている。なぜか。パキスタンは形勢が悪くなると、究極の手段(暗に「核兵器」のことを言っていると取らざるを得ない)を使ってでもインド軍を阻止するとくる。そのため、インド軍は逡巡せざるを得なくなる。何と言うことはない、核を持ったことにより、自分の行動に制約を課してしまったようなものである。

「核の抑止力」という魔法の言葉は、下手をすると人類をとてつもない奈落の底に落としてしまう可能性がある。それよりも「経済の拡大と富の公平な再配分」を考えたほうが、余程安全に世界平和を希求できるのではないか。もっとも、経済の拡大が通常兵器の輸出拡大を通じて行われるとなると考えものだが。

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