最後のご奉公
インド総選挙の最中の1991年5月(注)、次代を担うと目されていたラジブ・ガンディーが遊説中に暗殺された。下野したとはいえ、一国の若き元首相の死と引き換えに、通常なら弔い合戦と称して圧勝するケースの多い政治の世界にあってなぜか異常に低い投票率(53%)で、ラジブが率いていた国民会議派の獲得議席数は225と過半数(272)には届かなかった。そこに至る1年半の間に政権交代が3回、その上拡大する財政赤字や収まらぬ物価上昇、枯渇した外貨準備などでインドが既に統治不能の状態に陥り、大きな変革なくしては立ち直れないことは明白で国民の政治離れは目を覆うような惨状だった。(注)筆者のインド赴任は1991年2月。
その結果、妥協の産物として生まれたのが国民会議派の総裁で大番頭であったナラシマ・ラオを首相とする内閣だ。しかし、70歳にもなるガンディー派の長老が首相になったのは「無難な選択」の結果との見方が大勢を占め、彼に大きな期待を寄せる人は少なかった。しかし、その内閣が大化けした。総選挙の影響で遅れていた予算を成立させる過程でルピーを20%切り下げ、事業免許制度を大幅に緩和、外国企業の持ち株比率上限を40%と決めたインディラ・ガンディー(元首相)の外資排斥政策を変更し、51%まで引き上げた。すなわち、従来の社会主義的な保護政策を捨て、外資導入という自由化政策に大きく舵を切ったのだ。
その政策を蔵相として推進したのが大蔵次官やインド中央銀行(RBI)総裁を歴任した民間人エコノミストのマンモハン・シン(現首相)その人だ。彼は蔵相就任に当たって、「私は間違って政治の世界に入ったが、この国を立て直すために働く。月給は1ルピーでいい」と言ってのけた。その後何を勘違いしたのか、ある程度の経済改革を成し遂げた暁にも政治の世界から足を洗おうとしなかった。恐らくソニア・ガンディー国民会議派総裁が長男(ラフル・ガンディー)への繋ぎ役として政治的野心を持たず、忠誠心が旺盛なだけのシン首相を温存したのだろう。ある意味ではこれがインドの悲劇だったともいえる。待ったなしの場合には正論が通るが、ひとたび落ちつけば、政治力に勝る人物が政権を引き継ぐのが妥当だ。病が治ると人はそれを忘れるように、インドも同様な道を歩みだしていた。しかし事ここに至り、寡黙でMr. No Decision(決めない人)といわれたシン首相が動いた。ポピュリスト政策にまい進していたソニアに対し「あの91年の苦しみを、また味わいたいですか」と進言、痛みを伴う経済改革への了解を取り付けた。
総選挙まであと1年半あまり、シン首相最後のご奉公が始まった。歴史に名を残す宰相として、まさに命を賭した獅子奮迅の活躍を期待したい。さもないと、91年の実績が台無しになってしまう。
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