明日に架ける橋
何百万人という死者を出したベトナム戦争(第二次インドシナ戦争:1960年12月~1975年4月)の最中、戦場の兵士や帰りを待つ家族・恋人の困難を乗り越えるための応援歌がたくさん作られた。その中でも有名なのがサイモン&ガーファンクルが1970年に発表した「明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)」だろう。「君が荒波を乗り越えられるよう、自らの身をそこに横たえる」という、切なくも感動あふれる歌だ。結局アメリカはこの戦争に敗れ、多くの尊い人命を失った。
戦争ではないが、今インドが経験していることもある意味で類似する点がある。元大統領のアブドゥル・カラム博士が、大統領就任以前に行った講演の終了後、サインを求めて来た10歳の少女に「あなたの望みは何?」とたずねると、「先進国になったインドに住むこと」と少女はためらわずに答えたそうだ。
その先進国とはただ単に社会インフラなどが整った見栄えのする先進国ではなく、政治改革を経たもっとまともで社会格差の是正がなされた平等な新生インドだろう。初代首相ネルーは有名となった「制憲議会演説」で、「インドは目覚めて運命と出会う」と述べている。果たせるかな、四代続くそのネルー・ガンディー王朝はインド政財界の腐敗を助長こそすれ、改善することは出来なかった。残念ながら、インドはまだ目覚めてはいない。
若くして大統領になった故ケネディーは、「たいまつは若者に引き継がれた」と高らかに宣言している。今インドに必要なのは、進取の気性に富み、腐敗と汚職にまみれた政治に果敢に挑む若き政治指導者の出現ではないか。最近行われた内閣改造でマンモハン・シン首相は多くの若手を大臣に登用した点に触れ、「若さと老練さの調和」を希求した結果と述べた。しかしそれは老と若の形だけの調和(布陣)であって、老から若への権限の移行とはとれない。それでは現状を打破することは難しい。老が若を支え、若が国家を背負っていけるように身を横たえる。
サイモン&ガーファンクルは、「歩み始めなさい、あなたのときが来た。輝ける未来はもうそこまで来ている」と歌っている。「インディア・シャイニング(輝くインド)」といって経済成長を遂げてきたインドが、本当の意味で輝けるにはまだ相当な時間が必要だろう。しかし、6億人もいる25歳以下の若者が「明日に架ける橋」を描き始めたら、そのときこそインドが本当に輝きに向かって歩みだすときだ。
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