学習性無力感からの脱出
1967年に発表された理論に「学習性無力感(Learned Helplessness)説」というのがある。自己流に簡略化して説明すると、ある特定なことを繰り返し学ぶと、動物はそれを前提にした行動を取る、と言うことだ。
分かりやすい例が5月5日付日経新聞に載っていたのでご紹介する。水槽の中に獰猛なカマスと小魚を入れる。当然のことながらカマスは小魚を追いかけまわした挙句食べてしまう。しかし、水槽を透明なガラスで仕切り、一方に小魚、他方にカマスを入れると、カマスは小魚を食べようとトライするのだが、ガラスにさえぎられ小魚を食べることが出来ない。それを繰り返すうちに、とうとうカマスは小魚を襲うことをしなくなる。その後で、水槽を仕切っていたガラスをとっても、カマスは小魚を襲わなくなるというものだ。カマスは諦めの境地(学習性無力感)に陥ってしまった、というわけだ。
日本企業のインド感にも似たようなものがあったように思う。インドと言えば、3K(汚い、危険、キツイ)の代表格で、そんなところに派遣されるのは都落ちのようなもの。先輩達のいやと言うほどの苦労話を聞き、インド人にモノづくりは無理で、一緒にまともな仕事なんて出来ない、などなど。
確かにそういった面はあったと思う。私が赴任した90年代初めなど、まともな日本食などなく、テレビはもとより、トイレット・ペーパーまで持参したものだ。それが今はどうだろう。大型ショッピングセンターは出来るし、家電製品を日本から持ち込む必要もなくなっている。国営放送一局だったテレビも、今では民放も数十局を数え、NHKの国際放送まで見ることができる。欧米企業のインド進出は盛んで、シリコンバレーに頭脳流出していたIT技術者も、2004年からの3年間で約6万人が本国回帰をしたという。
日本企業も最近ではインドへの関心を高めている。その際気になるのが、過去のインド感を払拭出来ているかどうかだ。過去に一度でもインドで勤務した経験のある人の中には、インド・トラウマを後生大事に持っている人たちがいる。すなわち、「インド(人)はダメ」という学習を徹底的にしてしまい、そのためやる気が出ない(何をやってもだめという無力感を持ってしまう)という諦めムードになってしまうことだ。
日本企業もそろそろその辺の「学習性無力感」から脱却する必要があるのではないか。そのためには、インド・トラウマを持たない若い、やる気のある人を出すといい。インドでビジネスをやっていく上では、インドに対する変な先入観は捨て、あるがままのインドを受け入れ、自分でビジネスを作り上げていくことが重要だ。その際、頼りになるインド人の確保が大きなウエートを占めることは言うまでもない。
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