夢をもう一度か、現状維持か
インドが経済危機に陥った91年、大車輪で窮地を救った主役が当時のマンモハン・シン蔵相(現首相)だ。それだけに、今回の経済失速への対応にも大きな期待が寄せられていたが、現状には失望感が蔓延している。そんなこともあってか、シン首相のあだ名は“Mr. No Decision(何も決めない人=現状維持)”。政治の政策遂行機能が不全となり、失速する経済にビジネス界からは悲鳴にも似た声が上がっている。
ではインドはどこでどう間違ってしまったのか。やはりシン首相は政治を差配するというより、有能な官吏としてその能力を発揮できるポジションに就くべきだったのではないか。91年当時は、シン蔵相とチダンバラム商工相(当時、現内相)が二人三脚で経済自由化を強力に進め、二人の行く手を阻もうとする政治的雑音は現政権与党国民会議派の大番頭であったラオ首相(当時)が遮断していた。トロイカ体制の頭で、政治的意志を持った政治のプロが睨みを利かし、その下で有能で政策遂行能力を持つ者が動いた。したがって、いま国民会議派がやるべきことは機能する政治システムへの回帰だが、ある意味では好機到来かも知れない。
今回ムカジー財務相が大統領立候補のため辞任し、シン首相が兼任を発表すると、懸案だった税金問題への対応等が実施されるのではないかとの期待から6月末の29日一日だけで株価(SENSEX)は439ポイント急騰、2012年上半期の値上がり率では主要アジア市場のトップに躍り出た。やはりシン氏には首相より財務相がふさわしい。では誰が首相をやるのか。いま、国民会議派の中で91年当時のラオ首相の役割を果たせるのはソニア・ガンディー国民会議派総裁しかいない。日本でも、1998年に小渕内閣が発足すると、バブル崩壊後の未曾有の経済危機対応に、戦前に活躍した高橋是清と同様首相経験者であり経済にも精通した宮沢喜一を蔵相に充てた。
現状維持的な対応で現在の難事を乗り切れると思ったら、それは国民会議派そのものの自殺行為となる。2014年に迫った総選挙を考えれば、よほど思い切った手を打たない限り政権交代の可能性が高い。国民会議派が2004年の総選挙で政権維持を果たしたとき、カラム大統領(当時)はソニア・ガンディーの首相就任決意表明に備え、(同氏がインド生まれでないことを承知の上で)同氏に対する組閣要請書を用意していたらしい。しかし、その希望はソニア自身によって無残にも打ち砕かれた。座して(現状維持で)死を待つのか、最期の勝負に出るのか、ソニアの胸三寸である。
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