多様性とは
今から約17年前、インドに赴任した当初、何も分からずにインドの国会中継を見ていて憤慨したことがある。何せ国会議員が本会議でヘッドホンをしているではないか。余程つまらない国会審議なので、ウォークマンででも音楽を聴いているのかな、と単純に思っただけだが、今にしてみればインドの多様性をまったく理解していなかったことを自ら証明しているようなもので、冷や汗ものだ。
どういうことかというと、大臣などが国会で発言する場合には通常、英語で話す。しかし、無数の言語のあるインドでは国会議員が皆英語に流暢ではないことからヒンディー語の同時通訳が入る。そのため、ヘッドホンが必要になるというわけだ。面白い例に、発言者が冗談めかしたことを言うと笑いの渦が二回起こるというのがある。すなわち、まず英語で聞いている人たちが笑い、その次にヒンディー語の同時通訳を聞いて反応した人たちの笑いが起こる、といった具合だ。
いろいろ理由は挙げられるが、インドの人が英語に堪能になる(ならなくてはいけない)理由の一つは、自分と同じ言語(母国語)を話さない人とのコミュニケーションを円滑にするためだ。北と南の言葉はまったく異なり、インド人自身が相手の使う言語(母国語)を外国語と言うくらいだから、いかに違うかが分かる。まったく通じない(読み書きもできない)らしい。だから初対面の人とはまず英語で挨拶し会話を始め、相手が自分と同じ地域の出であることが分かると、彼らの共通語である母国語(生まれた地域の言語)で話を続ける。
同様に、インドのお札の金額表示は全部で18の言葉で書かれている。表が英語とヒンディー語で、裏面に他の主要16言語で表現してある。世界広といえども、それほど多くの言語による金額表示をしているお札は無いだろう。
以前東京のインド大使館にいた参事官はインド東北部の出身で氏を「ダロン」と言った。このダロンさんに「お国では何語で話すのですか?」と聞いたら、「ダロン語です」という答が返ってきた。数千人の人口しかいない村らしく、皆ダロンさんでダロン語を話すらしい。ウソのようで本当の話だ。そして私の知っているダロンさんは彼が育った村で始めての外交官ということであった。ことほど然様にインドという国は言葉一つ取ってみても多様性に富んだ国で、共通語としてのインド語などない。私がインドを『U.S.A』ならぬ『U.S.I』(United States of India)と呼ぶ所以である。
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