インド人テクノクラートの優秀性
米大手証券会社、ベア・スターンズが身売りするほど世界はサブプライム問題で混乱を来たしている。峠は越したと言う意見もあるが、まだまだ底が見えないと言うのが本当のところではないか。それに関連して、日経ビジネスの5月26日号に出ていたクレディ・リヨネ証券アジア(CLSA)リサーチ社長のクリストファー・ウッド氏の記事が目を引いた。インド中央銀行は2006年初めから証券化にブレーキを踏み始めていたというのだ。
どういうことかというと、「ローンを証券化して販売する場合、そのローンの返済期間中に1年分ずつの利益を計上する」という政策の導入で、例えば25年ローンを証券化した場合、同期間にわたり1年分ずつ(言い換えれば1/25)しか毎年の利益が計上できないことにしたのである。したがって、米国のように1年目に利益を全額計上するうまみはなくなり、インドではサブプライム関連の証券化が進まなかったことになる。この記事を読んで、デジャ・ビュ(既視体験)ではないが、インドが外貨危機に陥った1991年と、それに続く為替管理法の運用が思い出された。
1947年に独立したインドは社会主義的混合経済体制を敷き、その後中印紛争や印パキ戦争、オイル・ショックや湾岸戦争などが重なり、1991年に外貨が底を突き、対外決済も思うに任せなくなった。すなわち外貨危機に陥ったわけである。その際、日本などからの緊急支援で何とか急場をしのいだインドは、1992年3月より従来の全面外貨集中制度(中央銀行が民間の取得した外貨を強制的に買い上げる制度)を止め、自国通貨ルピーの二重相場制を引いた。具体的には、民間が取得した外貨の60%については、自由に市場で売却してよいことにした。ではなぜ60%だったのか。
当時現地駐在をしていた関係から側聞できたのだが、92年以降の自国外貨獲得予想と外貨債務や輸入決済のための流出外貨額をコンピューターでシュミレーションし、再び外貨危機に陥らないために政府が押さえておくべき外貨額が民間の取得する40%となったので、残り60%の外貨集中を止めたとのことであった。そのときの大蔵大臣が現首相のマンモハン・シン氏である。良くインド人は数字に強いというが、今回のサブプライム問題も踏まえると、分析能力(金融に関する危機管理能力)も相当なものと言えよう。因みに、シン首相は英オックスフォードとケンブリッジ両大学を出た経済学博士であり、大蔵次官や中銀総裁も務めている。
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