2009.03.01

インディアン・ドリームと現実とのはざまで

凱旋帰国でオスカー像を両手に記者会見するラへマーン氏

2月23日に行われた第81回米アカデミー賞授賞式で、インドを代表する商業都市ムンバイのスラムで育つストリートチルドレンを描いた「スラムドッグ$ミリオネア」が作品賞や監督賞を含む8部門でオスカーを獲得した。制作、監督、脚本は英国人だが、インド人が出演し、作曲賞、歌曲賞はインドきっての人気作家で「インドのモーツアルト」とも呼ばれるA.R.ラヘマーンがダブル受賞している。

いわゆるエリート教育を受けたわけではないスラム育ちの少年が、己の過酷な人生を苦しみ抜きながら生きていく中で身に付けた知恵と知識でクイズ番組を勝ちあがり、自らの人生も切り開いていく。既成勢力(警察)は無教育の少年が高度なクイズに回答できるはずはない、どこかでごまかしでもしているのだろうと尋問し、拷問する。そこには生活の知恵を自らのものにし、主体的に生き抜いていこうとする少年のひたむきさと、(他人に与えられた)枠にはまった縦割り人生が唯一不可侵のものと信じて疑わない(疑うことすら思いつかない)惨め(滑稽)なしかし笑えない、大人の人生が交錯する。巨万の富を目前にし「探し求めてきたのはお金ではない」と言える少年の純な心を、今どれだけの大人が持ち得るか。

とてもじゃないけど耐えられない、そんな境遇を生き抜く少年の目の輝きが素晴らしい。私が18年ほど前インドの地に始めて降り立ったときに感じたものと同じだ。生活インフラは目を覆うばかり。上から下まで腐敗だらけ。まともなものを見つけることが難しかった中で、子供達の目の輝きだけが救いだったように覚えている。こういった子供たちがいる限り、インドの未来は明るいと思ったものだ。転んだら起き上がればいい、それも自分自身で。失敗から学べば次に挑戦するときのリスクは減らせる。めげている時間があったら前に進め。一日一日起こることすべてを成長の糧にしてしまう、そんなハングリー精神は「ノー・プロブレム」という表現に置換される。

「ノー・プロブレム」を無責任な表現と捉えるか、物事に拘泥せず、前に進もうという積極的な姿勢と捉えるかは、その人次第だ。その問いに対する自分自身の「ファイナル・アンサー」を一度考えてみても悪くはない。

ラへマーン氏のお面をかぶり祝福するチェンナイのファン

約10年前、チェンナイのラへマーン氏スタジオを訪れたときのツーショット。1995年にリリースされた「ムトゥー、踊るマハラジャ」や「ボンベイ」の作曲も手掛け、当時でも既に著名な作曲家として人気者であった。

上記「ボンベイ」のメガホンを取ったマニラトラム監督と、彼のチェンナイの事務所で。デジカメではなく普通のカメラで撮った写真なので、2枚とも10年も経つうちに古ぼけちゃいました。

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