食糧問題の深刻さ
先週末、札幌で講演させていただいた。帰京の際、新千歳空港の北海道物産店を見て回った。さすが北海道で、海無し県の埼玉に育った私にはうらやましい限りの海の幸がてんこ盛りで販売されていた。ウニ、イクラやカニとサケ、見ているだけで、よだれが出てくるようなラインナップである。
目の前に積まれた海産物を見ていて思い起こしたのが食の確保だった。豊富な日本の食文化の中にいて、日常さほど身につまされていないことから、食糧危機的なものをあまり感じない鈍感さが身についてしまっているのだろうか。どこかで聞いた話だが、日本中のコンビニやレストラン、食堂などで廃棄処分にする食料を捨てずに貧しい人たちに配給したら地球上から飢餓がなくなると。
そんな中で、最近行われた世界貿易機関(WTO)での交渉が決裂した。2001年開始された多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)は、先進国と発展途上国との円滑な貿易推進を通し、世界規模での通商の拡大を図り、世界諸国の格差是正を狙ったものと理解しているが、事はそう容易ではなかった。百カ国以上の国々が自国の利益を保護し、他国の貿易政策まで受け入れるということは至難の技ということが証明されたようなものだ。特に、農産品に関する交渉では、米国とインドとの利害が衝突し、これが主たる要因となり交渉が決裂したともいえる。米国は自国農産品の新興国への輸出を推進しようとし、一方のインドは自国農業を保護するための特別緊急輸入制限(セーフガード)維持に固執した。インドにとっては当然のことかもしれない。交渉決裂から帰国したインド代表のナート商工業相は英雄のように自国に迎えられた。
インドでは毎年かなりの数に上る農民が自殺に追いやられる。高利貸しなどから借金して種を買い、降雨が十分でないと不作に終わり、収入の道が途絶え返済が出来なくなり、最後は自らの命を絶つ。インド政府は農民の借金の棒引きなどで対応しているが、抜本対策は後手に回っている。経済成長を急ぐために生まれる状況の変化に対する制度の枠組み作りが間に合わない。そこに、先進国が農業を開放しろと迫ってみても、そうそう簡単にドアは開くものではない。そこで参加者皆の英知や工夫が必要になってくるのではないか。
従来同様の交渉姿勢ではなく、地球全体が抱える課題として食料問題にどう対処していくか。まず、その辺の議論があって、その上で各国が自国に合った協力を具体的に示す。自国のエゴを最優先するのではなく、皆が地球人として、従来の慣習にとらわれない発想で、地球規模の難題に取り組む姿勢が求められている。
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