動物愛護とは
毎朝オフィス近くで5、6匹の犬を散歩させているおじさんと会う。私も犬好きなので「たくさんの犬と一緒でいいですね」と声を掛けたら、「この子達はかわいそうな犬なんですよ」と意外な回答が帰ってきた。どういうことかというと、一緒に連れている犬たちは全て捨犬とのこと。かわいいと思い、後先考えずに犬を飼い始め、世話が焼けなくなったらポイではあまりにも無責任だが、それが現実のようだ。
逆にインドでは、野良犬や野良牛(?)まで、人間と一緒の空間で暮らしている。それも世界第二の人口を誇るインドの首都からしてそうだ。あたかもインド全土が自然動物公園のようなものである。衛生上問題があるとして市内から牛を排除する計画が進んでいるが、動物虐待だという動物愛護団体の攻撃に遭いなかなか進まない。動物保護団体の先頭にいるのがガンディー家の一員で国会議員のマネカ・ガンディー女史だから、野良動物排除による都市美化活動もそう簡単には進まないということだ。同女史は故インディラ・ガンディー元首相の次男サンジャイ・ガンディーの妻で、サンジャイ氏が飛行機事故で亡くなった後をついで国会議員になっており、今やガンディー家の名の元に大臣も勤める大物国会議員になっている。
マネカ女史の動物愛護の姿勢を云々するつもりはないが、インド人の動物に対する接し方は一寸日本人には理解しがたい面がある。よく引かれる例に、ネズミ捕りで首尾良くネズミを捕獲したので使用人に処分するよう指示をすると、土左衛門にして処分するのではなく、一寸離れたところまで行き、そこでまた野に放ってしまうらしい。一応処分したことには変わりはないが、それでは状況は変わらない。
事ほど然様に、動物への接し方も各国各様で一筋縄ではいかないが、環境問題も含め、我々が心しておくべきことをお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は、『スッタニパータ』(仏教の聖典)の中で、とっくの昔に仰っている。
曰く、「人間は他の生き物よりもはるかに能力があるので、この力の不均衡によるなんらかの責任を彼らにたいして負っている」(注)。「生き物」を「環境」と置き換えても通じる言葉ではないかと思える。人間が負うべき他の生き物や環境に対するなんらかの責任とは何か。世の為政者も、肝に銘じておくべき言葉であろう。
(注) Sutta Nipata. 『ブッダのことば—スッタニパータ』(中村元・訳、岩波文庫)
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