2008.10.19

インドの貧困層

建築現場で働くインドの女性

インドにはいわゆる貧困層(一日一ドルの所得以下)が約2億7千万人いるといわれている。その一方で、平均的日本人が想像も出来ないような暮らしをしている裕福な人たちもいる。インドに赴任した当初、まだまだインドの貧富の差をどのように受け入れたらよいかも分からぬ頃、ゴルフ場で目にした光景に人が生きていくことの複雑さを思い知らされた。

小学生ぐらいの子供と父親が、ゴルフ場で打ちっぱなしの練習をしていたのだが、その子供はベネトンのシャツなどのブランド品を身に付けていた。一方、その子供の打った、どこに行くかもわからないゴルフボールを拾ってくる同年代の少年はというと、はだしで穴だらけのシャツとぼろぼろに傷んだ半ズボンを身にまとっていた。両極端な少年たちは、まったく疑問を感じていないかのように、片方は球を打ち、もう片方が球を拾うという行為を黙々とやっていたように見えた。

日本では、そういった極端な場面に出くわすことも無かったので、目の前の光景を直視するのが辛かった。しかし人間とは怖いもので、長年インドに住んでいるとそういった光景に慣れてしまい、何となく有り体に受け入れてしまうようになってしまう。

しかし、金持ちの子供はともかく、貧しい子供がそういった現状を唯々諾々受け入れていたとは思いたくない。何とかして貧困の生活から脱出したいと思いながら同年代の金持ちの子供のためにボールを拾い、その日暮らしをしていたのではないかと。

ではそういった子供達をどう救うか。インドでも、その辺を考慮した事業活動を行っている企業や団体もある。貧しい家庭で、まともな職業にもありつけない人たちに、彼らでも出来るような簡単な仕事を考えてやり、徐々に自立を促していくのだ。例えば、小額の事業資金を貸してやり、鶏でも飼って卵を産ませ、それを売って生計を立てる。リスクが大きくならぬよう、徐々に鶏の数を増やしていくよう指導してあげる。集落の中心的農家にパソコンを備え付け、インターネットで穀物価格の相場がわかるようにしてやる。そうすることで、零細農家の作った作物が、仲買人に安値で買い叩かれることを防いでやる。

草の根的な、気の遠くなるような活動だが、億単位の人たちが動員できたら大きな力になるはずである。マネーゲームで富を追うやり方もあろうが、それでは貧困層の削減にはつながらない。インド進出する外資には、地を這うような地道な社会活動もしていただきたいものだ。

インド勤務をしていた私の知人(ヤニック・小原氏)の一期展(国立新美術館:10/1-13)に出典した作品「語らい」

千代田線乃木坂を出たところにある国立新美術館内

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