インド人はなぜ外資を怖がるのか
今から約150年前の1853年、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊が日本の江戸湾浦賀に来航、日本の開港を迫り、江戸中が大混乱となった。そのときの様子は、「太平の眠りをさます上喜撰、たった四はいで夜も寝られず」(蒸気船とお茶の上喜撰、4隻を4杯、お茶で眠れなくなる様子と黒船で仰天している様子をかけた)という狂歌に良く表現されている。そして、日本は開国を受け入れ、日米和親条約の締結を余儀なくされていく。この一件を境に、幕末の動乱が始まり明治維新へとつながるわけである。日本の将来を大きく変えた事件であった。
同様なことがインドでも起こっている。1600年に設立されたイギリス東インド会社である。アジア貿易の独占権を与えられた英東インド会社は、インドに対してまずは交易の開始を申し出たわけで、その限りにおいてインド側が何も反対する理由はなかった。しかしながら同会社は商館の設立のみならず、マドラス(現チェンナイ)やカルカッタ(現コルカタ)に要塞を完成させ、インドの植民地化に手を染めていく。
貿易を本業に見せかけ、実態はイギリス政府の命を受けたアジア各地の植民地化の尖兵のようなものだったのではないか。同社は、インドのみならず東南アジアへの進出も果たし、アヘン戦争によって香港も手中に収めるなどして、大英帝国確立に大きな役割を果たしている。
この辺の推移(「軒先を貸して母屋を取られる」の類)がインドの年配者の頭から未だに抜け出ていないようだ。私が親しくさせていただいているインド財界を代表するような、例えば、マルチ・スズキの元社長(今月会長に返り咲く)のバルガバ氏あたりにしても、思いは同じのようだ。あるとき、バルガバさんが私に、「我々には、未だに『外資恐し』のトラウマがある」と言った。その理由は、上記に述べた東インド会社のインド侵略の歴史にあるという。外資がどんなに良いことを言っても、「もしかしたら・・・」という猜疑心が頭をよぎるらしい。
現在のインドの若い人にはそういった感情はないのかもしれないが、実質的にビジネスを動かしている人たちの頭には未だに外資に対するトラウマが存在するということを認識しておく必要はあるのだと思う。だから言うのだろうか、「インド人を信用して、責任ある地位に就かせるべきだ」と。
何時までも本国からの指示に従い、日本人による日本人のためのインドでの企業経営を推進しているとしたら、それが本当の意味での日印ビジネスの拡大に資するのか、一考が必要な問題だと思う。
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