■もはや夢物語ではないインドの新幹線

握手を交わす安倍首相とモディ首相(2015年12月12日、ニューデリー)
握手を交わす安倍首相とモディ首相(2015年12月12日、ニューデリー)

 20××年、私のインド出張はきっとこんな具合に始まるだろう。成田より空路ムンバイに夕刻着き、その足で新設された新幹線のプラットフォームに急ぐ。運良く午後7時半発グジャラート州最大都市アーメダバード行きに間に合った。アーメダバードまでなら約500キロ、2時間程度の乗車時間だ。従来の電車なら優に8時間はかかっていた距離だから、当日の移動はまず困難で、翌朝の空路か夜行列車を利用するのが一般的だった。

 ただ私の目的地はアーメダバードではなく、ムンバイのあるマハラシュトラ州からグジャラート州に入って少し行ったところのバルサドという中堅都市だ。そこにコンサル先の日印合弁会社がある。距離にして180キロ程度。以前なら、ムンバイから車で2時間半くらいかかったが、近くに新幹線の停車駅ができたので、そこから車を走らせれば20分ほどで目的地に着く。1時間ちょっとの旅程で、駅でサモサ(小麦粉の皮に野菜、肉、香辛料を詰め、油で揚げたもの)でも買えば簡単な夕食も済ませられる。「何と便利になったものか」。1991年に銀行の駐在員としてインドに赴任して以来、インドと日本の間を行き来してきた私は思わずつぶやいた……。

 一度でもインドに行ったことがある人なら、こんなのは夢物語だと言うかもしれない。だが、これはモディ首相が在任中に起こり得ることなのだ。ただし、2019年の総選挙でインド人民党(BJP)が勝ってモディ首相が再選され、彼が目指すインドの変革が進み、諸問題が徐々に解決されていく、という条件付きにはなるが。

■吉か凶か、増え続ける人口

 インドではどこから始めても全方位的問題にぶち当たる。そういった問題ひとつひとつに解を与えていくことがどれほどの困難さを伴うものかは、筆舌に尽くしがたい。通り一遍の改革などでは済まないことから、モディ首相は“Transform”という言葉を用いている。すなわち、インド社会を根底から変えるつもりなのだ。

 インドの現状を理解するために、とりあえず人口動態から入ると分かりやすいだろう。生産年齢(15~64歳)人口の増加に伴う経済的恩恵を「人口ボーナス」、その逆を「人口オーナス(重荷、負荷)」という。中国はすでに「人口オーナス期」に入っているが、インドはあと30年くらい「人口ボーナス」を享受できるという。

国際産業技術見本市での「インド・パビリオン」の開会式典に、ドイツのメルケル首相とともに出席したモディ首相。「Make in India」をアピール(2015年4月13日、ドイツ・ハノーバー)
国際産業技術見本市での「インド・パビリオン」の開会式典に、ドイツのメルケル首相とともに出席したモディ首相。「Make in India」をアピール(2015年4月13日、ドイツ・ハノーバー)

 国連推計では、世界第2位の人口大国インドの生産年齢人口は10年から40年までの期間に約3億2000万人増加し、総人口に占めるその割合は40年前後まで上昇が続くとされている。それなら、経済が減速する中国に代わってインドが世界経済を牽引けんいんする強力な成長エンジンになれるかというと、事はそう単純ではない。

 増大する若者人口、そのうち過半の者が十分な初等教育も受けることなく生産年齢人口に組み込まれていく。その若者たちへの雇用は創出できるのか。できなかった場合には今の「人口ボーナス」が、巷ちまたに失業者があふれる「人口悪夢」に変わる。元インド中銀総裁のY.V.レディ氏が発した警鐘だ。それに対するモディ首相の回答が「Make in India」であり、「Skill India」となる。外資を呼び込み、インドの産業拡大を推進、そのために必要となる技術者を養成するというものだ。

■規律の乱れ、9時出勤の公務員は3割未満

 ここで問題になるのが「レッドテープ」と揶揄される硬直的な官僚制度(お役人仕事)、上下院のねじれ現象で法案が通らない政治事情、技術者養成機関や指導員の欠如、そして工業化に伴うエネルギー需要の増加と環境汚染だ。

 モディ首相は就任後間もない14年8月15日の独立記念日に国民に向けた演説で「私が各大臣に“始業時間の9時には自席に着いているように”と出した指示が新聞ネタになるほど、この国の規律は乱れている」と言い放った。その後、中央官庁公務員の出勤状況を調べたところ、定時出勤者が3割に満たないと分かり、モディ首相は激怒する。

モディ首相を迎えて開催された「デジタル・インディア」のイベント(2015年9月27日、米カリフォルニア州サンノゼ)
モディ首相を迎えて開催された「デジタル・インディア」のイベント(2015年9月27日、米カリフォルニア州サンノゼ)

 また、いかに外資を呼び込んで生産活動を拡大しようとしても、技術者が不足していてはままならない。そこでモディ首相は「Digital India」を標榜ひょうぼう、ICT(情報通信技術)を活用した遠隔教育まで取り入れようとしている。しかし、誰がどうやって教育プログラムを作成し、指導するのか。具体的な施策は、いまだに明らかにされていない。


■重くのしかかるエネルギー、環境問題

 仮に技術者が供給できたとして、次にはそれを支えるエネルギーと環境問題が出てくる。昨年末の国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)で、インドも国別温室効果ガス排出削減目標(INDC)を提出したが、かなり抑え気味のものだった。その背景には「10年、先進国における1人当たりの温暖化ガス排出量は7~15トンで、インドはたったの1.56トンだった」という、責任が主に先進国にあるとする考え方や、「国民の3分の1が電気のない生活をしている。安価で効率的な化石燃料は必要」といった経済的な負担への懸念がある。しかし、インドは温室効果ガス排出量で中国、米国、EUに次ぐ世界第4位でもあり、地球環境保全といったマクロ視点から、その責任は十分認識している。

 モディ首相は「Clean India」のスローガンの下、クリーンエネルギーへの転換のため石炭税を課したりして資金を捻出、再生可能エネルギープロジェクトへの補助金や投資に回している。だが、そのために必要な資金は2兆ドル(約236兆円)を超えるとの試算もあり、到底インド1国でまかなえるものではない。

 また、モディ首相は2015―16年を「水革命の年」とし、インド独立の指導者マハトマ・ガンジーの生誕150周年にあたる19年10月までに、ガンジス川の浄化を果たすと宣言した。しかし、毎日何百万リットルもの工業用水や未処理の下水が流れ込むガンジス川を浄化するのは気の遠くなるようなプロジェクトだ。ほとんどミッション・インポッシブルじゃないかと言いたくなる。

 そういった汚水に起因する下痢で年間60万人以上の人が死に、感染症などによる市民生活の被害は数十億ドルに上るとも言われている。それを考えれば、インドの公衆衛生問題はインド1か国の問題ではなく、多くの国や国際機関を巻き込んで解決すべきものなのだ。ミッションは必ず遂行されなければならない。

■動き出した国際関係、日本の外交に戦略はあるか

 相田みつをの詩に「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉がある。日印関係もこの互助精神に立脚したものにする必要がある。そこには世界政治のバランス維持、アジアにおける平和の希求といった意味合いも込められてくる。

 そのあたりは、なぜインドが日本の新幹線を選択したかを考えれば明白だ。コストだけを考えれば、中国の新幹線採択が妥当だったろう。しかし鉄道の安全性や技術力、政治的な要素をはさみ込ませない長期にわたる関与、インド全体の産業育成といった観点から考えれば、中国の勝ち目は薄れる。

 モディ首相は就任後、最初の外訪先に隣国ブータンを選んだ。主要国で初めて訪問したのは日本だった。インドにとって日本との政治、経済関係の強化がいかに重要かを明示したものだ。

 現状の双方の国力を踏まえると、両国が今後直面していく諸問題の過不足が埋められる。日本政府は、使い切れていないインドの持つ特質、すなわちインドの有する豊富な人材や巨大なマーケット、世界に広がるインド人ネットワークを、脆弱化した日本の体質強化に使えるよう、種々の制度改定や政策導入を推し進めていく必要がある。

 その際、頭に入れておくべきは、あらゆるものが整った先進国と社会インフラ等が不十分な新興国、といった表面的な関係だけではなく、政治・経済・社会問題を理解し合え、今後長期にわたって双方に利益があるwin-winの関係を構築できる可能性のある国はどこかという点だ。

 モディ首相は特に近隣外交、とりわけパキスタンとの関係改善に意を尽くしているように思える。インドとパキスタンは「カシミール問題」という火種を抱え、この問題の解決なくして印・パキの関係改善はありえないと思われているが、状況は変わりつつある。

パキスタンを電撃訪問したモディ首相と握手を交わすシャリフ首相(2015年12月25日、ラホール)
パキスタンを電撃訪問したモディ首相と握手を交わすシャリフ首相(2015年12月25日、ラホール)

 その一端が昨年暮れに垣間見られた。モディ首相による突然のパキスタンとアフガニスタン訪問だ。ロシア訪問を終了した翌日の12月25日、インドへの帰途、予告なしにアフガニスタンを訪問、同国のガニ大統領とインドの支援で建設されたアフガニスタンの国会議事堂の落成式に出席した。それが終わると、突然のパキスタン訪問を発表、午後には同国シャリフ首相の私邸を訪れ、シャリフ首相66歳の誕生日を祝っている。

 インド首相のパキスタン訪問は、インド人民党政権下でバジパイ首相が訪れた04年1月以来、ほぼ12年ぶりのことだ。両訪問とも事前に発表のない電撃的なものとの報道がなされているが、実際は周到に用意されたものであろう。例えば、パキスタンの駐印大使が数日前に帰国している事実や、シャリフ首相がモディ首相を空港で出迎える準備などは、突然できるものではない。

 その背景には、政治に与える若者の影響を鋭く感じ取ったモディ首相の卓越した政治感覚がある。パキスタンの若者の間には最近、「印パ関係は全てカシミール次第というのはおかしい。それとは切り離した形で両国関係改善を進めるべきだ」という主張が出てきている。自党の単独政権誕生の原動力が若者を中心にした世論であったことを熟知しているモディ首相にしてみれば、ここでパキスタンの若者の声を代弁しておかない手はない。

 そのためには、カシミール問題を抱えながらも、必要に応じ印パ首脳は積極的に会談するのだという姿勢を見せておく必要があると考えてもおかしくない。ただ一つのことをあげつらい、いがみ合うより、政治経済の相互交流を推進したほうが両国民のためになる、ということを自ら体を張って示したのではないか。印パ両国の関係改善につながる可能性を感じさせた特筆すべき行動だ。

■足りないところを埋め合う関係に

 私は、モディ首相の在任中にインドに日本の新幹線が走る日は必ずやってくると確信している。だが、そこにいたる道程の険しさは既述の通りだ。世界の国々は分かちがたく結びつけられ、自国だけで繁栄を謳歌する時代は去った。日本などの先進国が豊かな社会であり続けられるためには、新興国の発展をサポートする一方で、彼らの力を謙虚な気持ちで有効活用させてもらう必要がある。

 日本の企業が国内での経済活動と同じように、インドでの経済活動に従事し、その延長線上にアジア経済が統合されていく姿が浮かんでくる。そのためになすべきことは、日印相互の過不足を知り、それを協力して埋めていくことだ。それを積極的に推進していけばアジア全体の発展と平和につながっていくのではないか。その良い例が、インドで日本の新幹線が走る日までの道のりだと思う。その偉業を達成するために日印が立ち上がる時機が来ている。
 
 
 

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