2008.02.04

グローバル化と人的交流の重要性

ゲストハウス「アスカ」の全景

先週はニュー・デリー経由でバンガロールに行った。既に真夏の様相だ。ニュー・デリーでは、日中は20度近くになるが、最低気温は零度近くになるほどの例年にない冷え込みで、2時間強の飛行で、真冬から真夏への移動となった。

今回の出張は、当社のお取引先(IT企業)の社長がバンガロールにゲストハウスをオープンしたので、そのお披露目会のお手伝いも兼ねていた。そもそも何故IT企業の社長がインドでホテル経営などを試みたかということだが、日本一極での事業経営の危うさを感じ取っての行動らしい。日本一国で見る限り、少子高齢化し、ネットオンでの事業拡大がどこまで、いつまで続くか不透明感が増す一方であることから、事業拠点を分散させることでリスクヘッジをしながら多角的な事業拡大につなげようというものらしい。10室だけのこじんまりしたビジネスホテルだが、このホテルを使って日本人向けのビジネスホテルのモデルを成功させ、その後で、もう少し大きな物件を手がける計画だ。

今インドのホテル供給は異常なほど不足しており、特に大都市ではひどい。3年ほど前なら百数十ドルで泊まれたホテルが、今や3百から4百ドルである。いかに経済成長が著しいとはいえ、3年ほどで物価が3倍になったら、政権は吹っ飛んでいてもいいようだが、外人が泊まるホテルなど特定なものだけなので、そうはならない。そこで、一般のホテルよりは格安で、なおかつ(本物の)日本食が楽しめ、日本人が納得してくれるおもてなしの出来る憩いの宿泊施設の提供となったわけである。そのため、日本からプロの板前を送り込み、サポート役として、日本のレストランに勤めていたフィリピン人の板前を手当てした。また、レセプションには日本語が堪能で英語も結構しゃべれるフィリピン人女性をリクルートした。オープニング早々5名ほどの日本企業出張者の宿泊を得たが、その方たちに痛く気に入っていただけたのが日本食とレセプショニストだ。

基本は、いかにお客を満足させるかというプロ根性と日本語に不自由なく、微笑を絶やさないホスピタリティーの発揮のようだった。板さんは寡黙だが、自分の役割を明確に意識しており、自分の都合よりも顧客の満足度を第一に考える。レセプショニストは笑顔で顧客に接し、不快感を抱かせない。この両者が何故インド人で無いか、一寸残念である。日本的な「痒いところに手が届く」ような相手をおもんぱかったおもてなし。これは、相手の感性を理解して初めて可能になることではないか。その点で言えることは、一般人レベルでの日印交流の希薄さだろう。

急速にグルーバル化する時代に、いつまでも外人労働者に自国の門戸を閉ざしているわけにも行かないだろう。その上、その速度を速めないと、早晩日本経済も立ち行かなくなることが懸念される。民間企業の意識革命と共に、公的機関の意識革命をしないと、日本が字句通り、極東の一小国になってしまいかねない。最近、結構その危険性は高いのではないかという危惧の念に駆られてしまうようになった。

厨房で作業する日本人板前の伊藤さん、フィリピン人板前のチャバスさんと
受付嬢のジーナさん

日本で食べるのと同じ味、インドで?「そーです!」

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