2007.06.18

インドのカーストについて思うこと

東京も先週、入梅宣言が出たはずなのですが雨は続かず、水銀柱は30度近くまで上る暑い日が続いています。写真はオフィス近くの本郷通りで、銀杏並木の緑が目にしみます。暑くてもクーラーの効いたオフィスに居れば、どおってことも無いのですが、停電だったら大変だと、インドに住んでいた頃に思いを馳せました。特に貧困層の人たちで、クーラーどころかファンさえも無い(あっても停電では使えない)場合、今頃は地獄だろうと思います。

その貧困層ですが、日本の一般の方は「貧困層=低カースト」という図式を思い浮かべるようですが、全てがそうだとも言えません。最近のインドはどこかで古代ローマの社会とダブるような感じがあります。ここからは古代ローマの専門家である塩野七生さんの受け売りですが、

「ローマでは奴隷であっても一生涯、奴隷として過ごしたわけではなく、語学の才能に秀でていたり、抜群の商才を持っていた奴隷には、開放奴隷になれる可能性があり、その上、一定額以上の資産を有するなどの諸条件を満たせば、ローマ市民権を得ることが法律で認められていた。つまり、社会全体に流動性が機能していて、努力と能力しだいでチャンスをつかむことができた」(文芸春秋 2007.7)ということです。

インドのGDPの約6割はIT(情報サービス)などのサービス産業が生み出しています。そういったサービス産業では、その人の氏素性よりも、その人の頭脳が生み出す付加価値が重要視されます。したがって、インドの低カーストの人たちにも、能力しだいでは上に上がれる時代が訪れていると言えましょう。低カーストの人たちが能力を発揮し、資産形成をして、羽振りの良い生活をしていく過程で、カーストの持つ意味合いも徐々に薄れていくのではないでしょうか。

ローマ社会にあった、「格差を固定化させない流動性」(同)がインド社会にも生まれつつあると言っても過言ではないと思います。そういった社会の流動性が増せば増すほど、インド経済は拡大発展していくものと思います。カーストをベースにしたインド社会は、グローバリゼーションの進む中、都市部から地方へと変貌を遂げつつあると言えましょう。

 

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