2014.08.06

日本のベストとインドのベストを組み合わせて

 パナソニック(旧松下電器産業)がインドでの調理家電事業に進出してから今年で25年になりました。そういう節目の年に、チェンナイ工場で生産した電気調理器と炊飯器の累計台数が1,000万台に達しようとしています。
 
「2-3年で事業を再建できなければ撤退もやむなし」と上司に言われてインドに2度目の赴任をしたのが2001年。販売の伸び悩みや売掛金の回収問題などで赤字に陥っていた現地法人の立て直しに向けて、販売店との取引ルールや製品の企画・マーケティングの見直しに取り組んだこと、そのために代理店や小売店、そして個人ユーザーなどを足しげく訪問したことは、前回のブログでお話ししたとおりです。
 
 その成果がはっきりと目に見えてきたのは、累積赤字が消えた2005年のことでした。テレビCMを全国規模で放映する積極策に打って出ることもできるようになり、主力商品である電気調理器(炊飯器)の販売台数も、そのあたりから急速に伸び始めます。06年には20万台を達成し、以後、09年に50万台、12年には100万台の大台を超えました。
 
 インドからの輸出も伸びており、最近ではチェンナイ工場で生産する製品の15%は国外市場向け。その背景としては、国外で活躍する在外インド人(NRI)が増加していることも忘れてはなりません。
 
 初回と2回目のインド駐在の間、日本で炊飯器事業を担当していたとき、インド事業は担当していなかったのですが、チェンナイ製の炊飯器を初めて北米に輸出する案件をまとめたことがありました。それから15年以上を経て、インドはパナソニックの調理家電事業の世界的なハブのひとつになりつつあります。
 
 20年近くにわたってインド・ビジネスを手掛けてきても、いまだに日々、わからないことに遭遇しています。ただ、わからないことに毎日ぶつかるのが当たり前であるということは、よくわかるようになりました。
 
 1989年に最初にインドに着任してからしばらくは、大いに悩んだものです。大学のインド・パキスタン語学科を卒業し、在学中に現地を旅して回った経験もある身なので、彼我の差はそれなりに理解しているつもりでいました。が、いざ、こちらに腰を据えて仕事に取り組むとなると、話は別だったのです。
 
 よく言われる“組織を重んじる日本と個人主義を尊重するインド”という違いはもちろん、それ以外にも大きな文化の相違に、いくつも直面しました(今なお、しています)。そうした出来事の連続で苦しむ中、出会って救われたのは、文化人類学者の中根千恵さんの著書です。インドで事業を進めるうえでいちいち日本式を押し通すのは、野球のルールでサッカーをやるようなものだということに思い至りました。
 
 かといって、ビジネスのやり方すべてをインド式に改めたわけではありません。私がインド人になりきってしまったのでは、私がここにいる意味がない。ときにはぶつかりながらも、日本のベストとインドのベストを組み合わせてベストの結果が出るよう、力を合わせることこそ重要であることが、試行錯誤の末に見えてきたからです。
 
 では、日本のベストとは何か。インドのベストとは何か。その組み合わせのベストとは何か──。そういった点については、具体的な事例に則して、これからのブログでもう少し詳しくお話ししていきましょう。
 
 
 
次回の更新は8月18日ごろを予定しています。

一覧に戻る

contact お問い合わせはこちら