2014.07.10

「インドで売れる炊飯器」をつくる

 今年で通算18年になるインドでの仕事のうち、大きな部分を占めてきたのは、現地の英語で言う「electric cooker」でした。直訳すれば「電気調理器」となりますが、その姿を日本の皆さんが見れば、もっとピンと来る名前に、すぐ思い当たるでしょう、「ああ、炊飯器ね」と。

 そのとおり、私のインドにおける最初のミッションは松下電器(現パナソニック)の電気炊飯器(electric rice cooker)をインドで売ることでした。

 日本のインド料理店ではナンとライスの両方が揃っていることが多いと思いますが、本場のインドでも米は小麦と並ぶ主食のひとつ。特に南部を中心に米作と米食が盛んで、日本で言う「炊く」という調理法も一般的です。

 ですから、電気炊飯器をインドに持ち込めばビジネスになるというのは、正しいアイディアだったし、だからこそ松下も調理家電事業の拠点を、南部の中心都市であるマドラス(現チェンナイ)に置きました。

 しかし、1989年に最初にインドに赴任したころ、炊飯器はインドでは思うように売れませんでした。製品には自信があったので、なぜだろうと、私は卸の代理店や小売の販売店、それに一般ユーザーの家庭などを訪ね歩きました。そうした現場のひとつで、目にして愕然としたシーンがありました。ウチの炊飯器が箱から出されることもなく、棚に置きっぱなしにされていたのです。

 値段は高いのに使えない道具──さまざまな人たちの炊飯器評を突き詰めると、結論はそうなりました。

 あちこちに話を聞いて回って、まずわかったのは、現地の家庭では食事の準備をする際、米を炊くのと同じ鍋で肉や野菜も調理するということです。

 インドでは炊きあがったライスをさまざま料理と混ぜ合わせて食べます。そのため、米に他の食材の匂いや味がつくことを厭いません。そういう使い方が当たり前というユーザーにとって、日本式の炊飯器は米しか炊けない不便な道具でした。

 そこで我々は日本の開発部門と協力し、炊飯釜の上に乗せて、野菜や肉を蒸したり煮込んだりできるトレーを開発しました。炊飯のたびに別の料理も同時に作れる「電気調理器」の誕生です。

 もちろん、電気炊飯器から電気調理器への“進化”は一朝一夕に起きたわけではありません。開発は試行錯誤の連続でした。インドでは炊飯の際、釜に米がこびりつくことがひどく嫌われるということも見えてきたため、釜の底に敷いて焦げつきを防ぐ専用プレートを作ったりもしました。

 ご飯に他の食べ物の匂いが混ざるのを嫌がり、お釜のお焦げはむしろ御馳走扱いされる。そういう日本で生まれた炊飯器を押しつけるのではなく、インドのユーザーに便利に使ってもらえる調理器を作り出そう。

 そういう取り組みでした。

 もっとも、そうして開発した電器調理器も、すぐに売れ出すことはありませんでした。購入者の利用頻度を調べたり、料理教室を開いて使用法を広めたりもしたのですが、販売台数は年間4万台という当初の水準から大きくは伸びないのです。

 インド着任から6年が経った1995年、日本の帰任を命じられました。後ろ髪を引かれる思いでチェンナイを離れ、帰国後も炊飯器事業を担当したものの、基本的にはインド関連のビジネスを手がけることはありませんでした。例外は、インドで生産する電気調理器を北米の量販チェーンに納入する話をまとめたくらいだったでしょうか。

 ところが、日本に戻ってから6年後の2001年、私はインドに帰ってくることになります。当時のインドでの調理家電事業は、販売の低迷に加えて売掛金の回収の遅れにも見舞われており、赤字になっていました。

 再びのインド行きを命じる上司から贈られた言葉は、「2-3年で事業を再建でなければ撤退もやむなし」という厳しいものでした……
 
 
次回の更新は8月1日ごろを予定しています。

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